ひろさきひとまち百景表紙

百景一覧

弘前城と下乗橋
 
津軽藩ねぷた村
A-1 弘前城と下乗橋 A-2 津軽藩ねぷた村
津軽統一を果たした初代藩主為信(ためのぶ)が慶長8年(1603年)に計画、2代藩主信枚(のぶひら)が慶長16年(1611年)に完成させた津軽氏の居城です。広さ約49.2ha、東京ドーム10個分以上の敷地は三重の濠と土塁に囲まれ、6つの郭で構成されています。

弘前公園の桜は日本一の規模を誇り、正徳5年(1715年)津軽藩士が25本のカスミザクラなどを京都から取り寄せ、城内に植えたのが始まりと云われています。現在、公園内には、ソメイヨシノを中心に、シダレザクラ、八重桜など、約50種類2600本の桜が咲き誇ります。
弘前ねぷたのお囃子の実演が行われる弘前ねぷたの常設展示館「弘前ねぷたの館」、津軽三味線の生演奏を聴くことができる「山絃堂」のほか、津軽地方の民工芸品製作風景の見学や製作体験ができる体験型の施設です。

施設内には国の登録記念物となっている日本庭園「揚亀園」や、東北地方でも数少ない雪国の茶室「揚亀庵」、弘前市の「趣のある建物」に指定されている「蔵工房たくみ」があります。

中土手町商店街
 
旧弘前偕行社
A-3 中土手町商店街 A-4 旧弘前偕行社
土手町内は上土手町・中土手町・下土手町と三分しても呼ばれ、松森町寄りが上土手町、蓬莱橋から先が下土手町その中間が中土手町と呼ばれます。

中土手町の象徴的な建物である一戸時計店の『時計台』は明治30年に建造され、以来八十有余年にわたり、ほとんど狂うことなく時を刻み続けてきました。
1907年に旧陸軍第8師団の弘前新設に伴う陸軍将校の集会所・社交場として建設されました。大規模な洋風建築で、ルネサンス様式を基調とし、華やかな細部意匠は高く評価されています。

1915年大正天皇の行幸の際の行在所として使用されました。「偕行社」解散後は弘前厚生学院の校舎等に利用されてきましたが、1980年からは同学院記念館として保存されるとともに一般公開されています。(2019年頃まで保存修理工事のため休館)

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最勝院から桶屋町を眺める
 
最勝院五重塔
A-5 最勝院から桶屋町を眺める A-6 最勝院五重塔
新仁王門:昭和58年(1983年)、時の真言宗智山派管長上 野頼榮猊下御親修のもと立柱式を厳修した最勝院新仁王門。昭和59年(1984年)が弘法大師御入定壱千百五十年御遠忌に正當する為、記念事業として参道整備と共に建立。住職は37世昭典和尚、宮大工は青森が生んだ名工大室勝四郎棟梁によるものです。

桶屋町:寛文13年(1673年)頃は、新派町(新しく分かれた意味)として町割りされていますが、元禄13年(1700年)には既に桶屋町と呼ばれています。桶や樽などを作る職人が多く住んでいたことから桶屋町と名付けられたものです。実際に昭和30年代まで職人街で桶や樽が製造販売されていましたが、鍛冶町の繁栄で飲食・歓楽街に変わりました。

三浦煎餅店(塔下煎餅):最勝院五重塔の麓。創業80年の老舗。現在のご主人は二代目。かまどの炭火で手焼きしている煎餅はすべて一人で焼いて仕上げています。 
津軽統一の際、戦死したすべての人々を敵、味方の区別なく供養するため、3代藩主信義(のぶよし)が350年も前に建てさせたものです。

塔の総高は31.2m、初重は三間四面、五層の建造物。
東北一の美塔と讃えられています。最も勝つと記す最勝院では、必勝のお守りなども充実。卯年生まれの一代様で多くの参拝者があります。

吉井酒造煉瓦倉庫
 
弘前駅前商店街
A-7 吉野町緑地公園 A-8 弘前駅前商店街
明治40年(1907年)に醸造家の福島藤助が建造した酒造工場。弘前出身のアーティスト奈良美智氏が展覧会会場として使用したことで有名。それを記念して敷地に隣接する公園内に奈良美智氏の立体作品である「AtoZ Memorial Dog」が設置されました。(現在は外から見える犬小屋に設置されています)

現在、建物は様々なイベントの会場として、公園は市民の憩いの場や子ども達の遊び場となっています。
弘前駅:弘前市大字表町にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)・弘南鉄道の駅です。りんごの発祥地として有名な弘前らしく、ホームでは直径2mを超える巨大りんご(世界一)の置物が出迎えてくれます。

弘前駅前通り:弘前駅前付近より西方向、オフィスビルや各種商業施設が並びます。

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富田町弘前銘醸(株)倉庫
 
中央弘前駅から土手町を眺める
A-9 富田町弘前銘醸(株)倉庫 A-10 中央弘前駅から土手町を眺める
大正6年(1917年)に福島藤助が富名醸造として設立。 その後、富名醸造は弘前銘醸(株)に引き継がれましたが、昭和60年(1985年)に清酒醸造が廃されました。

赤煉瓦の酒造蔵は、弘前大学に隣接する弘前銘醸(株)の倉庫として現在でも使用されています。
中央弘前駅:昭和27年(1952年)、弘前電気鉄道(現在の弘南鉄道大鰐線)が弘前から大鰐まで開通し、弘前市市街の中にあります。駅舎は典型的な昭和の地方私鉄的な雰囲気。夏はホーム向かいの土渕川からの涼風が心地よいです。

ルネスアベニュー:ヤングからキャリアミセスまで幅広い商品を取り扱っているファッションビルでした。(2017年3月で閉館しています)

旧弘前偕行社中庭
 
弘前昇天教会聖堂
A-11 旧弘前偕行社中庭 A-12 弘前昇天教会聖堂
遑止園:藩政時代は、「九十九森」とよばれ、鷹狩場の一つでした。九代藩主寧親公が文化12年(1815年)に、別邸と庭園(前庭と後庭からなる大石武学流)をつくりました。

園名は、明治41年(1908年)、 皇太子嘉仁親王(大正天皇)がここに一泊されたとき「心が安らぐ(休まる)」ということで【遑止園(こうしえん)】と命名されました。 
イギリス国教会として確立された、カトリックとプロテスタントの架け橋となる中道主義の教会です。大正時代に建てられたゴシック様式の赤煉瓦作りの聖堂は、米国人が設計したものです。

弘前昇天教会聖堂は、別名を山道町の教会と言い、朝夕の礼拝を告げる澄んだ鐘の音と共に市民から親しまれています。

また、アメリカで120年前に作られたという日本で唯一のリードオルガンが、今も現役で使われています。

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藤田記念庭園
 
上白銀町 弘前市役所通り
A-13 藤田記念庭園 A-14 上白銀町 弘前市役所通り
弘前市出身で日本商工会議所初代会頭の藤田謙一が大正8年(1919年)につくらせた別邸です。広さ約2万1000㎡という広大な敷地の高台は岩木山を眺望できる借景式庭園、低地部は花菖蒲が美しい池泉廻遊式庭園になっています。

レトロな洋館喫茶室のテラスでいただく、布ドリップオリジナルコーヒーがおいしいと評判です。
弘前市役所:1958年に完成。設計は近代建築家の巨匠として知られる前川圀男氏。重厚堅実を意識した単純明快な構造と大きな庇、そして城下町を考慮し、建物の高さを抑え大会議室には切妻屋根を採用するという配慮がなされています。外壁のコンクリートうち放しとレンガブロックは、弘前公園の緑と違和感なく同化しています。

弘前城追手門:追手門は慶長15年(1610年)に建てられたもので三の丸の枡形に位置しています。所謂櫓門形式の城門で、入母屋、本瓦葺き(鯱付き)、1層目正面は厚い板と太い柱で構成され、覗き窓や通用門が設けられ乳金物や八双など強度のある金物を使用しています。
2層目は櫓と同様な機能があり正面には鉄砲狭間や物見があり実戦になると兵士が詰める場所になっています。
また、弘前城追手門は国指定重要文化財に指定されています。

藤田記念庭園
 
上白銀町 弘前市役所通り
A-15 富田の清水(しつこ) A-16 百石町展示館
(旧青森銀行津軽支店)
1686年、津軽四代藩主信政公が越前の熊谷吉兵衛を招き紙漉法を導入した際に、この豊かな清水が使用され、昭和の初めの頃まで紙漉に利用されていました。その後は市民の生活用水として使われています。

この地の旧村名が富田村であったため、 「とみたのしつこ」と呼ばれています。また、昭和60年に国指定の名水百選に選ばれています。

明治16年(1883年)、豪商宮本甚兵衛が「角三呉服店」(かくさんごふくてん)の店舗として自ら建てた、ゴシック様式土蔵つくりの建物です。大正時代から平成13年(2001年)までは銀行として使われていましたが、現在はコンサートや展示会などが開ける展示館になっています。

2階の階段には当時を偲ばせる屋号が潜んでいます。
館内のレトロな喫茶店では着物姿の女性がコーヒーを入れてくれます。

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蓬莱橋から土淵川を眺める
 
日本基督教団弘前教会
A-17 蓬莱橋から土淵川を眺める A-18 日本基督教団弘前教会
蓬莱橋:弘前市のメインストリート下土手町と中土手町を繋ぐ、土淵川に架かる橋。橋の上からは最勝院五重塔が見えます。川沿いを歩いて橋の下をくぐると、蔦が絡まる懐かしい風景。背伸びすると橋に手が届きそうな場所は、路地裏に迷い込んだような不思議な魅力を醸し出しています。(文章:路地裏探偵団より)

土淵川:岩木川の支流の一つ。久渡寺山付近を水源とし北上して市街地を通り、撫牛子付近で平川に合流します。

明治8年(1875年)に創立された、東北最古のプロテスタントの教会です。パリのノートルダム大聖堂をモデルに、堀江佐吉の四男斎藤伊三郎が建設しました。

柱、壁、床、屋根などが県産の総ヒバのつくりで、100年もの時を経て今もなお建設当時の姿を見せています。
津軽塗の説教台にも注目です。

弘前文化センター前津軽為信像とNHK弘前市局
 
元寺町を眺める
A-19 弘前文化センター前津軽為信像と
NHK弘前市局
A-20 元寺町を眺める
弘前文化センター:「文化会館」と「中央公民館」が併設され、生涯学習や文化活動の拠点として、講演会や演劇、各種コンサート、市民文化祭などに利用されています。

津軽為信像:元は弘前城の本丸にありましたが、戦時中に金属回収のために供出されて撤去されました。平成16年に現在の場所に復元されました。

NHK弘前支局:NHK青森放送局の支局のひとつ。弘前・津軽地方の取材拠点です。放送会館1階のロビーを開放したNHKギャラリーは展示などの利用目的で貸出されており、2階は主にNHK文化センター弘前教室として使用されています。また、屋上にはお天気カメラ(HD対応)を設置しています。

元寺町:かつては、寺町と呼ばれる寺院街でしたが、数ヶ寺が消失したのを機に、翌年からすべての寺院が現在の新寺町に移建され、この寺町は商人町に変わり、本寺町
(後に元寺町)と呼ばれるようになりました。

三上ビル:大正15年(1926年)に弘前無尽株式会社の社屋として建設された、弘前市で2番目に作られた鉄筋コンクリート作りの建物です。(内部は店舗として営業中です)

田中屋:明治30年創業。伝統工芸「津軽塗」の製造・販売のみならず、店内には作業を見学できる工房や資料館、画廊、喫茶室もあります。入口付近の黒塗りの柱は当時向かいに建っていた旧弘前市役所の木材を再生したものです。

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弘前 ヒロロ
 
りんご畑とお山参詣
A-21 弘前 ヒロロ A-22 りんご畑とお山参詣
2013年7月末、弘前駅前の旧ジョッパル跡地にオープンしたショッピングモール。「ヒロロ」という名前は、弘前のHIROとルーツ(Root 根源・起源)のROを合わせた造語で、外壁に描かれている大木はブナの木をイメージしています。

地下1階から2階まではショッピングフロア、3階は弘前市公共フロア、4階はフードコートや室内遊園地などがあり、幅広い客層をターゲットにしており、駅前地区のにぎわいを期待されています。

りんご生産量日本一として、りんご畑は身近な風景にある弘前市。そして、津軽のシンボルとして古くから人々に崇められてきた岩木山。

旧暦8月1日に、集団で岩木山に登り、ご来光を拝む伝統行事「お山参詣」は、五穀豊穣と家内安全を祈願して行われる津軽地域最大の秋祭りです。

旧暦8月1日のご来光に合わせて、前後3日間の日程で行われる「お山参詣」は、日本の山岳信仰の典型のひとつとされる岩木山信仰の中核であり、重要無形民俗文化財に指定されています。

昭和50年代の弘前駅前通り
 
ねぷた 出陣前
A-23 昭和50年代の弘前駅前通り A-24 ねぷた 出陣前
弘前駅方面から見た昭和50年代の弘前駅前通り。駅前再開発前の街並みで、現在と風景が変わっているのがわかります。

当時は、現在「イトーヨーカドー」がある辺りにバスターミナルがあり、バスや電車などの公共交通機関の利用者が多く、駅前は人通りが多かったものでした。

また、当時としては近代的な建物が多く、レストランやボーリング場のある「マルサン」や弘前に数多くあった劇場の1つ「宝塚劇場」などの娯楽施設や今でいうファーストフードショップのような「アップルスナック」があったため、多く の若者が集いました。

駅前は果物屋さんや本屋さんなど商店も多く、弘前市民の買い物の場としても利用され、現在とはまた違った活気がありました。

津軽の夏を彩る弘前ねぷたまつりは、三国志や水滸伝などの武者絵を題材とした大小約80台の勇壮華麗なねぷたが、城下町弘前を練り歩く夏まつりです。

昭和55年(1980年)1月に重要無形民俗文化財に指定され、現在は子どもねぷたや前燈籠など様々に趣向を凝らし、鏡絵(前)の雄姿と見送り(後)の幽玄さが対照的な「扇ねぷた」、伝統ある豪華絢爛な「組ねぷた」とともに、情緒ある笛や太鼓のねぷた囃子にのせて、市民らの手によって運行されています。

ねぷたの運行コースには土手町と駅前の2つがあり、上白銀町は土手町コースのねぷたの待機場所になっています。各団体のねぷたが一度に見られると共に祭り前の熱気が伝わってきます。又、ねぷた本番の灯りが灯ったねぷたとはまた違う表情を見ることができます。

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弘前公園から岩木山を眺める
 
旧東奥義塾高等学校
A-25 弘前公園から岩木山を眺める A-26 旧東奥義塾高等学校
弘前城は、現在の弘前市における弘前公園がそれにあたり、津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)によって慶長8年(1603年)に計画され、二代信枚(のぶひら)が慶長15年(1610年)、築城に着手し、翌16年に完成しました。

幅10~20メートルの深い堀を持ち現在も内堀、外堀は比較的良く旧状を残しています。外堀周辺は散歩やランニング、釣りなどを楽しむ人々も多く市民の憩いの場となり、とくに北側は春になると桜と岩木山が堀に映りこみ大変美しい光景となります。

寛政8年(1796年)の津軽藩校稽古館を前身に、明治5年(1872年)公学校廃止の文部省布達により菊池九郎(のちの初代弘前市長)が創立者となり、「私立学校東奥義塾」として下白銀町に開校され、平成24年(2012年)には創立140周年を迎えています。なお校舎は昭和62年(1987年)に新設され、現在は石川字長者森に位置します。

校訓に「敬神愛人」を掲げ、その建学の精神に薫陶を受けた同窓生は3万人近くに及んでおり、なかには近代ジャーナリズムの先駆者・陸羯南や日本商工会会議所初代会頭・藤田健一などが名を連ねています。

禅林街から見る長勝寺
 
旧弘前市立図書館
A-27 禅林街から見る長勝寺 A-28 旧弘前市立図書館
弘前城の西南の茂森町に位置し、一本の道をはさみ、曹洞宗のみ33もの寺院が連なっていることから禅林街と呼ばれています。

禅林街は「津軽氏城跡弘前城跡長勝寺構」として昭和27年に国指定史跡に指定されています。

長勝寺の顔ともいうべき三門は、高さが16.2メートルあり、江戸初期の寛永6年(1629年)に建てられたものですが、文化6年(1809年)火燈窓(仁王像を入れている部分)を新設したため下層部分が当時と変化しています。

ちなみに三門とは、禅宗の教えの中の「三解脱門」を略したものです。

明治39年に東奥義塾高校の敷地内に建てられ、昭和6年まで弘前市立図書館として利用されました。設計・施工は堀江佐吉で、木造洋風3階建で、八角形の双塔をもつルネッサンス様式を基調としながら、随所に和風様式が取り入れられています。

1階は、旧市立図書館の形態を復元し、当時の関係資料も展示しています。2階には、地方出版物や同人誌の紹介、ビデオによる文学碑めぐりのコーナーなどがあります。

この建物は平成2年7月に市制施行百周年の記念施設として、現在地に修復・復元されました。平成5年には青森県重宝に指定されています。

図書室と評議室と婦人閲覧室があります。

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弘前大学正門
 
弘前市民会館
A-29 弘前大学正門 A-30 弘前市民会館
昭和24年に弘前高等学校、青森師範学校、青森医学専門学校、青森青年師範学校、弘前医科大学を母体として、文理学部・教育学部・医学部からなる大学として発足し、その後、学部や組織の設置、整備等を経て、現在では5学部、7大学院研究科、4研究所、11学内共同教育研究施設等を備える総合大学として運営されています。

平成16年4月1日より、国立大学法人化され、国立大学法人弘前大学が発足しました。理念として教育基本法の精神にのっとり、広く知識を授け、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させ、人類文化に貢献しうる教養識見を備えた人格者の育成を目的としており、国内外の各領域でのリーダーの育成に努めています。

弘前市民会館は、弘前市立博物館と共に史跡弘前城(弘前公園)の一角に設けられ、かなたに雄麗な岩木山をのぞみながら、春は老松を背景とする桜に彩られる閑静なたたずまいにあります。

市民が優れた舞台芸術を鑑賞する文化施設、文化祭をはじめとする市民自らが参加する文化活動の場として、更には弘前公園内の静かな環境で研修・会議などを行う場として、昭和39年に竣工しました。

前川國男建築設計事務所によるコンクリート打放しの特徴のある建築は、まもなく50年を迎えますが、時を経た重みがノスタルジーを感じさせます。また、ホール客席の内装は、天井面が曲面で、側壁は非対称のブナの2次曲面積層合板による拡散配置で構成されており、優れた音響特性を持つホールとして、現在でも変わることなく市民に親しまれております。

弘前城と岩木山
 
弘前市民会館
A-31 弘前城と岩木山 A-32 弘前市立博物館
毎年4月下旬から5月初旬にかけて、弘前公園では弘前さくらまつりが催されます。
通常、園内を歩いて観る景色として弘前城と岩木山を同時に見ることはできません。しかしこちらのイラストは、クレーンを利用し高い位置から弘前城と岩木山が一緒に見える景色を写したものをイラストにしています。
現在(2017年6月時点)は弘前城の曳家によりこの景色は見ることはできませんが、弘前市のシンボルである弘前城と岩木山が並んでいるこのイラストは、グッズをはじめイラスト名刺など多くの方にご好評をいただいております。

弘前市立博物館は、弘前藩政の要となった弘前城跡三の丸の一角に、お城と老松や自然と人工の美に取り囲まれて荘重なたたずまいを見せています。

弘前市立博物館の設計は、近代建築の巨匠ル・コルビュジェ(フランス)の弟子で、日本の建築界をリードした前川國男氏によります。

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弘前公園 追手門
 
旧弘前市消防団 西地区第四分団屯所
A-33 弘前公園 追手門 A-34 旧弘前市消防団 西地区第四分団屯所
追手門は2層の櫓門となっています。全体的に簡素な素木造りとなっていて、戦国時代の古い形式を残すものとして全国の城郭建築の中でも珍しいものとされています。

周囲の濠や土塁もよく保存・整備されており、藩政時代の趣きが感じられ一見の価値があります。また、濠沿いには桜の木も植えられていて、花見の時期にはピンクの桜が一面を彩ります。
昭和8年(1933年)頃に建設されたとされる、旧紺屋町消防屯所です。

正面右に「第五部紺組消防機械置場」、左に「弘前警察署紺屋町巡査派出所」と表示があり、消防と警察が同居する形となっていました。

3階には高さ約14.3メートル火の見櫓(望桜)があり、おしゃれな洋風の外観が特徴で、弘前公園(弘前城)のすぐ近くにあります。

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旧第八師団長官舎(弘前市長公舎)
 
青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)
A-35 旧第八師団長官舎(弘前市長公舎) A-36 青森銀行記念館(旧第五十九銀行本店本館)
大正6年(1918年)に第八師団長官舎として建設された、玄関部に切妻破風をもつハーフティンバー風洋館です。

外壁はモルタル塗、妻面などに欄間付上げ下げ窓を配していて、袴腰型屋根の前面3箇所にはドーマー窓を設けています。

施工は、弘前市内の建設会社、堀江組によるものです。
※現在は、カフェとして利用されています。

明治12年に設立された県下では最初、全国で59番目の国立銀行です。

本館は、この時建てられた新店舗で、設計者は、当時洋風建造物の第一人者で太宰治の生家・斜陽館なども手がけた堀江佐吉によるものです。

ルネッサンス調の洋風建築で、頂上には展望台を兼ねた装飾塔をつけ、その先端にはインド寺院に見られるような相輪を配しています。国の重要文化財に指定されています。

弘前市りんご公園
 
はるか夢球場(弘前市運動公園野球場)
A-37 弘前市りんご公園 A-38 はるか夢球場(弘前市運動公園野球場)
リンゴだらけの公園!岩木山を背景に、おなじみの品種から明治・大正の珍しい品種など65品種、約1,300本ものリンゴが植えられ、秋には時期にあった品種のリンゴ狩りもできます。

旧農家住宅は、江戸時代の農家を再現し、古い農機具の展示やりんご生産の先駆者も紹介しています。

このほか、遊具を備えたふれあい広場やピクニック広場なども整備されています。

元々は、弘前公園内にあった弘前市営球場の代替施設として、1979年に弘前市運動公園内へ開場しました。 開場後には、高校・大学によるアマチュア野球公式戦などを中心に使用されています。
2017年に増改築が完了し、近年では、日本プロ野球の公式戦や日本女子ソフトボールリーグの公式戦にも使用されています。
愛称である「はるか夢球場」は、弘前市出身のソフトボール日本代表元選手・監督であった斎藤春香氏の名前にちなんだもので、弘前市民からの公募を経て2012年に命名されました。

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弘前東高等学校
 
弘前税務署
A-39 弘前東高等学校 A-40 弘前税務署
1957年、弘前高等電波学校を開校。男子校でしたが、
1988年に男女共学となりました。
2005年には弘前東高等学校に校名変更および普通科を設置。
「人間尊重の精神に徹し、教師と生徒は啐啄同時、ともにより豊かな人間性と個性の進展に努める。」という教育方針にのっとり、近年では運動部の活躍がめざましく、また進路においても進学・就職いずれも成果を上げています。

仙台国税局管轄の弘前市にある税務署です。管轄地域は、弘前市、中津軽郡、南津軽郡のうちの大鰐町です。
税務署とは、国税庁の下部組織として、国税局の所掌事務の一部を分掌させるために設置されている国の行政機関です。
税金のうち、国税である所得税、法人税、消費税、相続税、贈与税、登録免許税、印紙税、酒税、揮発油税(ガソリン税)、地方道路税、航空機燃料税、電源開発促進税、自動車重量税、石油ガス税、石油石炭税、たばこ税などに関する業務を行っており、確定申告の時期には多くの人が訪れ、確定申告や帳簿に関する相談などを受け付けています。

弘前消防署
 
弘前学院外人宣教師館
A-41 弘前消防署 A-42 弘前学院外人宣教師館
1949年、弘前市消防本部、弘前市消防署を設置し、
1951年に庁舎落成。1971年、弘前市、南津軽郡大鰐町、藤崎町、常盤村、碇ヶ関村の1市2町2村で弘前地区消防事務組合を設立。
弘前市消防本部が弘前地区消防事務組合消防本部に移行し、弘前市消防署を弘前消防署に改称。
2013年、弘前市、黒石市、平川市、藤崎町、板柳町、大鰐町、田舎館村、西目屋村の消防事務組合や消防本部が統合し、現在の弘前地区消防事務組合が組織されています。

1906年、弘前女学校(現:弘前学院大学)にアメリカから派遣された婦人宣教師の宿舎として建設されたもので、当初は市街地中央にありましたが、校舎の移転とともに現在地に移築・修復され、国の重要文化財に指定されました。
2004年からは同校の資料館として保存・一般公開されています。
当館は、さくら色の木造2階建てで、南西隅に配置された八角形の尖塔が特徴的な建築物で、屋根はトラス構造となっており、尖塔先端の突針飾りや尖塔脇の煉瓦積煙突、淡黄色の下見板壁に葡萄色の柱や土台、また半円形の欄間窓など、全体的には西洋館が強くイメージされた意匠となっています。
設計者は櫻庭駒五郎と言われていますが、意匠や構造手法、駒五郎の遺物等から、アメリカのメソジスト本部で設計されたものを駒五郎が日本の大工が施工できるように設計図を描き直したものという説もあります。
また、館内に常設展示されている「青い目の人形」は、1926年にアメリカの子供たちから贈られました。

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岩木山神社
 
東奥義塾高等学校礼拝堂
A-43 岩木山神社 A-44 東奥義塾高等学校礼拝堂
津軽富士と称される岩木山をご神体とし、今から約1200年前に社殿を創建したことを起源とする神社で、岩木山を望む麓の鳥居から山頂の奥宮を一直線に拝することができるのが、全国的にも大変珍しい特徴です。
江戸時代に津軽藩主により大造営が行われた現存する社殿群は、県産のヒバ材を用いて絵様彫刻が施されており、400年超の風雪に耐え、国の文化財に指定されています。
郷土人の生活と心のよりどころであり、陸奥津軽開拓の神、農海産物の守護神、とりわけ開運福の神として、さらには日本の北門鎮護の名社として篤く崇敬されています。

東奥義塾高等学校は1872年に開校しました。県内で最も古いキリスト教主義教育の学校であり、その象徴ともいえるのが1000人以上収容可能な礼拝堂です。
同校のパイプオルガンは1990年に設置され、県内最大、全国の高校でもトップクラスの大きさを誇っています。制作したのは東京都渋谷区NHKホールにある国内最大のパイプオルガンを手掛けたドイツのカール・シュッケ社。
ステンドグラス『宇宙』は原画をルイ・フランセンが手掛け、1987年に完成しました。


(令和2年)旧弘前偕行社
 
弘前れんが倉庫美術館
A-45 (令和2年)旧弘前偕行社 A-46 弘前れんが倉庫美術館
「弘前偕行社」は、明治29年から弘前市南郊の富田にあった陸軍第八師団の親睦・厚生組織で、明治37年にこの別邸跡地へ新築移転する計画が持ち上がりました。
平成25年(2013)から令和元年(2019)まで行われた保存修理工事では、塗装も建築当時のシックでモダンな配色に復原。
遮るもののない大広間や上流階級の娯楽だったビリヤード室など、将校のサロンにふさわしい、威容を誇った往時の姿に甦りました。外壁や軒はそれまでの優しい風合いから薄いグレーと濃く深いグリーンのモダンな配色に、鉄製の装飾も建築当時の色に復原しました。
中央棟、東棟、西棟の各面の屋根を飾っていたドーマー窓(屋根窓)も復原。車寄せの屋根にはアクロテリオンと呼ばれる装飾が設置されました。屋根瓦も赤茶色に葺き替えられました。

弘前れんが倉庫美術館は、明治・大正期、実業家・福島藤助により酒造工場として建設された「吉野町煉瓦倉庫」がはじまりです。福島はレンガ造りにした理由を「仮に事業が失敗しても、これらの建物が市の将来のために遺産として役立てばよい」と、当時語っていたといいます。1954年、日本で初めて大々的なシードル(りんごの発泡酒)の製造が行われました。
改修は、建築家・田根剛が手がけしました。「記憶の継承」をコンセプトに、建物の記憶を継承し、未来の時間へと引き延ばす建築に仕上がりました。光の角度によって刻々と移り変わるシードル・ゴールドの屋根は、美術館のシンボルとなり風景に彩りを与えます。
弘前れんが倉庫美術館が目指すところは地域のクリエイティブ・ハブ(文化創造の拠点)です。建築や地域に合わせたコミッション・ワーク(新たな作品制作)を重視し、完成した作品を展示。さらに収蔵するという一連の流れによって、弘前ならではのコレクションを形成しています。

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弘南鉄道大鰐線と弘前れんが倉庫美術館
 
大森勝山遺跡と岩木山
A-47 弘南鉄道大鰐線と
弘前れんが倉庫美術館
A-48 大森勝山遺跡と岩木山
弘南鉄道は1926年(大正15年)に設立し、青森県弘前市を中心とし、弘南線・大鰐線の2つの鉄道路線があります。今回のイラストは大鰐線中央弘前駅から大鰐方面へ運行する電車と、2020年にオープンされた弘前れんが倉庫美術館が丁度重なる瞬間を捉えました。
青森県を題材としたアニメとコラボしたラッピング車輛の運行や、青森県内で精力的に活動をするアーティストのGOMA氏がイラストを描いた田舎館駅がテレビで取り上げられたり、東京急行電鉄から購入した車両のつり革には、「渋谷東急百貨店(渋谷109)」や「東横のれん街」のロゴがそのまま残っていることなどで話題になったりと様々な分野で盛り上がりを見せる鉄道会社です。

2021年7月27日、大森勝山遺跡は北海道・北東北の縄文遺跡群の一つとして世界文化遺産に登録されました。
大森勝山遺跡は、岩木山北東麓の標高143~145メートルの舌状丘陵上に立地し、遺跡の南西側には岩木山の全景を眺望できます。
遺跡には、やや楕円形に77基の組石を配置した環状列石や大型竪穴建物跡、捨て場や屋外炉などが確認されています。遺跡からは土器や石器のほか祭祀用である岩版・石剣・円盤状石製品が出土しています。

冬の弘南鉄道 中央弘前駅
 
弘前地区環境整備センター
A-49 冬の弘南鉄道 中央弘前駅 A-50 弘前地区環境整備センター
弘前市吉野町にある弘南鉄道大鰐線の駅で、終点である中央弘前駅。
土淵川沿いに立地していて駅舎は開業当時とほぼ同じ外観のため橋から眺めると趣のある風景となっています。
周辺には、弘前昇天教会や弘前レンガ倉庫美術館や弘前まちなか情報センターがあり、夏には弘前ねぷたまつり(土手町コース)をすぐに観ることができるなど弘前観光にもおすすめの駅になっています。2021年にはストリートピアノも設置されました。

弘前市内でも岩木山がひときわ大きく見える弘前市町田地区にある弘前地区環境整備センター。
ごみ処理施設として1日当たり246トンのごみ処理能力を有するほか、公害や環境に配慮した技術を導入するなど地域環境整備の拠点となっています。
ごみ処理施設の見学ができ、併設されているプラザ棟では年間を通じて環境やリサイクルに関する様々なイベントやエコ体験教室が催されています。
またプラザ棟に、市内小学校から譲り受けたリユースグランドピアノが設置されていて、誰でも利用することもできます(利用申請必要)。

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弘前城丑寅櫓とアイス売り
 
イトーヨーカ堂弘前店
A-51 弘前城丑寅櫓とアイス売り A-52 イトーヨーカ堂弘前店
弘前城二の丸にある『二の丸丑寅櫓(にのまるうしとらやぐら)』は北東を守るための三重櫓です。築城当初の1610年に建てられ、国の重要文化財に指定されています。
周囲にはブランコや滑り台など子どもたちが遊ぶためのスペースがあります。
長い冬が終わりさくらまつりの季節になると弘前公園に現れる青いリヤカー。藤田アイス店が炎天下でも溶けにくいように少し固めに作っているりんごシャーベット「カランカランアイス©」を販売しています。このリヤカーを見ると弘前の春夏が来たと感じる風物詩のようになっています。

株式会社イトーヨーカ堂が運営する弘前駅前にある総合スーパー。「イトヨー」の愛称で呼ばれ市民から親しまれています。
2020年に大幅改装を行いリニューアルオープンをしたことで老若男女問わない客層でにぎわっています。
津軽ひろさきマーチング委員会のイラスト展示会やワークショップを開催し、地域に根差した活動のご協力をいただいています。

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